「そうだダブリンに行こう」
バスは沈む夕日に照らされて、ダブリンの街へ近づいて行く
さて、今夜どこかに泊まることはできるのか?
ラッキー続きもここまでなのか?
いよいよダブリン市内に入った
第三部 聖パトリックとの出会い
街はきらめくパッションフルーツ
ウインクしてるエブリナーイ
中央バス・ステーションに戻ってきた
1年ぶりに実家へ帰ってきた気分
道に迷った時の目印にしていたカスタム・ハウスは、あいかわらずある
まずは安心だ
バレンタインデーの今日、予約なしの宿泊は難しいと言われた
日本でいえば、週末と重なったクリスマス・イブのような日らしい
思えばKLM機内で、アイルランドの宿泊地として適当に書いた「タウン・ハウス」
ここは小泉八雲が幼少のころに住んでいた場所です、と本に紹介されていた
★小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)とは。。。。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E5%85%AB%E9%9B%B2
根拠は全くないのだが、今夜泊まれるのはここしかないと感じた
とりあえず入口の前まで行ってみる
高級感にややビビる
ずっしりとした扉を開け、まったく泥だらけの靴で入る
中も高級だ(今まで泊まってきた宿に比べると)
さすがにこれは無理っぽいな
。。。。え?
なんと部屋はあった!
料金は今回の旅のダントツ最高額70ユーロきましたー(昨日の宿は15ユーロ)
迷わず決めた、というか何か大きなものに押された感じ、ここぞと感じた時にケチる必要はない
レセプションのデイビッドさん
「こちらへどうぞ」
小泉八雲氏ゆかりの写真、文献などが並ぶ小部屋に案内され
ていねいな説明を受ける
まるで、日本から来た皇室の人間に対するような、非の打ちどころのない完璧なおもてなし
「ラフカディオは松江で結婚しました」
ここで繫がるとは
初めて出雲に行った旅とシンクロした
「八雲立つ、出雲八重垣妻ごみに、八重垣つくる、その八重垣を」
ルーム#330 Chin Chin Kobakama
各部屋に、八雲の作品のタイトルがつけられている
ちんちん小袴は、アイヌの伝承にも通ずるアニミズム的でエコロジーな、つま楊枝の妖精の話だった
部屋は素晴らしく綺麗
「暖かすぎる場合は窓を開けて下さい」とデイビッドさん
えーーー
「寒いなァ~」とひとりごちた日々が、むくわれた
バスルームにはしっかりドライヤーが備え付けられ、コンセントも日本のものが使える仕様になっている
70ユーロ(8400円くらい)の価値はゆうに超えていた
窓を開ければ
べランダの下に、こじんまりしつつも優雅な中庭があり
近所のレストランからなのか、若者たちの高らかな祝いの歌声と、初夏のような甘い香りの空気が部屋の中に入ってくる
今夜、18年前に池袋文芸座で観た映画「ザ・コミットメンツ」の世界が展開された
絵に描いたダブリン、よすぎるぞ~
「常に行った道がベストであり、すべての人々がやっていることは、究極のあてずっぽうゲームである」 byカウヒ
漠然とカルメライト教会に聖バレンタインがまつられていると情報があったので、デイビッドさんに聞いてみた
「何でも言ってください」
パソコンと電話で調べ、すばやく地図に線を引いていく
できる人だ
答えられない質問はないに違いない
「私は仕事をしすぎるんです」
グラフトン・ストリートをはじめ、夜のダブリンはパッションフルーツのようにきらめいていた
カルメライト教会に来た
この時間は閉まっていて入ることはできない
でも、いまこのタイミングでここに来れたことがすごい不思議
たぶん後にも先にもないんだろうなー
いるべき場所にいる、大切だ
感謝と共に、まず世界平和ではなく、自己平和を祈る
「かわいい彼女ができますように~」
今日くらいはいいだろう
なんといっても
バレンタインデーなんだから。
7日目
めざすは第3の目的地ニューグレンジ
★ニューグレンジとは。。。。
ブルー・ナ・ボ-ニャ地域にあるゲール語で「太陽の洞窟」という意味の世界遺産
エジプトのピラミッドより古い5000年の歴史を持つ墳丘墓。
今朝のアイリッシュ・ブレックファーストはバイキング形式で、充分に栄養をつけてきた
クリアな判断ができそうだ
まずは北へ、ドロヘダの町まで行ってみる
ようやく自販機でバスの切符が買えるまでに成長しました
ドロヘダからニューグレンジ行きバスに乗り換える
西に20分くらいと意外に近い
帰りは歩こう
立派な建物のブルー・ナ・ボ-ニャ・ビジター・センターに到着
このエリアに、三大古墳としてニューグレンジ、ナウス、ダウスがある
古い情報を見ていたので、入場だけでツアーをことわると、途端に不機嫌になる受付のおばちゃん
別のおねえさんが来て、ニューグレンジとナウスの拝観は、現在はバスツアー込みだということに納得し、ニューグレンジツアーに申し込んだ
ツアー出発までの待ち時間にダウスに行こうとしたが、時間がなく、しぶしぶ引き返す
そのかわり、休憩中の送迎バスの運転手(俳優ジョン・グッドマンのようなナイスガイ)と仲良くなった
ニューグレンジから戻って来る時にダウスに近いところで降ろしてくれることになった
バスは満員、さすがにここは観光客多し
いろんな人がいる
スピリチュアルオタクっぽい、エメラルドのネックレスをした女性が目を引く
人のユニークさを見つけるのは楽しい
ニューグレンジはさすがの貫禄といったところ
ここもまさに子宮
その中は、冬至の日に太陽光が入口から通路を通り、一番奥の墓室にまで射し込む仕組みとなっており、ガイドの方が光の道筋の動きを機械で再現する
江ノ島の岩屋洞窟にいた光る龍を思い出す
グッドマンが、ビジター・センターに戻る途中の分かれ道で自分だけ降ろしてくれた
「着いたよマイフレンド、いい旅を」
ダウスは誰もいない
「こんにちは」
例によって、ぐるぐるな模様の石たちが迎えてくれる
中には入れないものの、周辺を自分もぐるぐる
活力が満ちてくる
やはり一人でつながる時間は大事なのだ
さて、どうするか
今日中に第4の目的地スレーンの丘方面に向かうか
途中にあった小さな看板を見ると、ドロヘダに戻るよりスレーンに直接行った方が良さそうだ
それにビジター・センターに戻ることなく、大きな道に出られることもわかった
歩きスタート!
大きな道に出ると、後方からビュンビュン飛ばして来る車がちょっとこわい
ポートラッシュとはまた一味違う道をひたすら歩く、今日はそんなに寒くない
いちおう会う人すべてに声をかけ、行く方向を確認
「ハロー」
素朴なおばちゃんと出会う
「わが村へようこそ」
これだ
体に疲労がたまってきたころ、店が並ぶ小さな交差点に出た、ここがスレーン村の中心らしい
スレーン城につながる、ゴシック様式のメインゲートにご挨拶
清々と流れるボーニャ川と、夕日に舞うたくさんのカラスがたまらなく美しい
よばれた
B&Bはすぐに見つかった
オールド・ポスト・オフィスのレストランの2階
むかし行った自由が丘の雑貨屋のように品のよい、とっても落ち着く部屋に落ち着いた
階下のレストランでは日曜の夜なのに大忙しだ
周辺の店ではビール販売はしていない(ワインはある)こともあり、ここらでひとつパブに行ってみることにした
人生初パブ!
何件かあるうちで宿の人おすすめの「BOYLE」に行く
店の扉を開ける
西部劇で見る、流れ者がカウンターバーに入る瞬間(両側がバタンってしまるやつね)
主人公の流れ者は丸腰だ
その前世の記憶がよみがえる
すでに中は地元の若者で盛り上がっている
男子はほとんどショートヘアーでキメている
長髪のモンゴロイドをみると、どう思うのだろう
セミロングのカウンターのおねえさんが超かわいい
はんぱない笑顔と共に生ギネスが運ばれてきた
あきらかに看板娘さんですね
手を出したら確実にボコボコにされてボーニャ川に流される
ライブデュオが、ザ・バンドの「アイ・シャル・ビー・リリースト」を演奏し始めた
超うまい、ビールもだけど
いいぞー
これは沖縄コザのライブハウスの感覚に近い
ライブの途中、スタッフに「片方スピーカー出てないよね」と日本語で言うと
「そーそー見てみるよ」通じているのか?
ライブ終了後、メンバーにトレイ・アナスタシオが入ったカウヒコンピCDRを上げた
「たぶん好きなはずだよー」英語で言った。
8日目
スレーンの朝
おしつけの高級感がなく、センスの良いレストラン
朝の光が銀食器の輝きをほうぼうに反射させる
まだ開店前の空気は澄んでいる
なごやかな一日のはじまり
運ばれてきた上品なポーチド・エッグの朝食に舌鼓を打つ
紅茶といったはずなのに出てきた
普段は飲まないコーヒー
こんなに美味しいコーヒーは日本でも近年飲んだことがない
スレーンの丘に向かう
歩いて40分くらいか、あっという間に入口に着いた
もちろん朝っぱらから人は誰もいない
入って右手にある水で手を洗い、丘を登って行く
とうとうここまで来たか
見晴らしの良い丘の上、遠くを見渡してアイルランドを実感するも、日本とのつながりも深く思った
間近で見るハイクロスの下に、お供のラブラドライト石を置く
「来ましたよ」
ヒル・オブ・スレーンはアイルランドにおけるキリスト教発祥の地、聖パトリックが復活の火を点した場所とされる
聖パトリックの像が立っている
左手には杖、何故か右手がない
痛そうだったので、イオヒーリングしてみた
ぶお~
復活の灯火は、自分にとって「イースター・ファイヤー」だったと悟った
「自分も世界を背負って立つ、他の人々もまた同様、生き生きと生きる、肉体を離れて行った者のすべてを頂いて。。。。」
そしてここは古代スレーン王が眠る丘である
王は「さまざまな人々の自由意志を尊重して治めるのが自分の役割なのだ」と言った
隣の修道院跡に入り、自分の居場所を見つけ、座り、外を見る
美しい木に
カラスが舞う
カラスが言う
「なにしにきた」
あのアンジェリーナ・ジョリーのことばだ
その時自分はカラスだったのかも知れない
カラスの声はドルイドの印
「イースター・クロウ」
座っている近くにあった3つ葉のクローバーが光った
ハワイの教えどおり、摘んでも良いか聞いてみる
「ぜひ」
聖パトリック像の前で「ありがとう、さようなら、また会う日まで」
何故か摘んだクローバーを像の心臓のあたりに捧げたくなり
それをして丘を去った
部屋に戻り、いい日旅立ち
皆にこやかに送り出してくれた
最高にあたたかいB&Bだった
次に向かうはナーバンの町
そこでバスを乗り換え、タラの丘へ行くことに決めた
スコーンを買って、B&Bで言われた場所でバスを待つ
これがなかなか来ない
立っている後ろで窓を拭いている女の子が、「待つ場所は少しあっち、よー」と教えてくれる
ナーバン方面行きは、待つエリアはあっても停留所はなかった
そこで待っていたおっちゃんと談笑
まったく気のいい人たちばかりだ
ナーバンからの乗り換えはあっさり成功
ダブリン行きなので本数が多いとはいえ、バスセンターがあってすんなり乗り換えというシステムではなかったにもかかわらずだ
いまだラッキーは続いていた
親切指数100%の運転手に、タラの丘に行けるくらいの道端で降ろしてくれるよう頼んでみる
ぜーったい忘れてただろ~というくらい離れたところで止まってくれたが、やっぱり親切に行く道を教えてくれた、本当にありがとうございます
第5の目的地となるタラの丘へ、ラストスパート!
★タラの丘とは。。。。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%A9%E3%81%AE%E4%B8%98
降ろしてもらったN3号線道路から1時間ほど歩いて入口に到着
オフシーズンでビジター・センターは閉鎖しているものの、お土産屋兼レストランも一軒だけやっていて賑わっている
ゆっくりと丘を目指す
ついに旅のクライマックスが訪れた
かつてスカーレット・オハラは「みんな、明日、タラで考えるわ」と言ったそうだ
ブルーレット・カウヒは「そこに行けば開ける、行く前に決め付けることは何もない」と思った
8の形に見える丘を、茅の輪くぐりのように8の字に回って、感謝と浄化を示した
中心となる立石をなで、だんだん観光客が増えてきたので、そこそこに引き上げる
譲り合いの精神を忘れてはならない
丘の中腹に気になる木を見つけた
「日本と同様に神木崇拝の文化があるアイルランドでは、聖なる木に白い布や紙などを結びつけて祈りを捧げる」とKLM機内で資料を確認していた
その木が目の前にある
「おみくじは神様と縁を結ぶもの、引いた神社でなくとも必ず後に結ぶのがよろし」
たまたま持っていた日本で引いたおみくじを結び、感謝と共に、まずは平和を祈る
ここに来れたことは奇跡だ、以前に来ている感覚も含めて。。。。
当然ながら、ここにも聖パトリックの像があった
ただ違ったのは
スレーンの像にはなかった右手
タラの像のその手は、しっかりと三つ葉のクローバーをかざしていた!!!!
「できなかったら次の世代がやるだろう、自分はせいいっぱいやるだけだ」とNAOMH PADRAIGは言った
初めてアイルランドに来て、たくさんのやさしさをもらい続け、スレーンで少しだけ差し出すことができたように思えた
最後の戦いは日本で待っている
草をはむ牛にバイバイ!
来た道を戻ってN3号線へ
笑っちゃうくらいに、きっちりバスが通りかかる
走るーーー、手を上げて「のりま~す」
1席だけ空いていたバスに乗り、荷物格納庫の自動ドアが閉まる音が聞こえる
「stand care, baggage door operation」
さんざん耳にこびりついた音声アナウンスが郷愁をそそる
旅は終盤だ
まぶしい太陽の光が、雲の狭間から微妙に飛び出し、聖パトリックの顔を描き出した
う~ん、細胞に刻み込まれてしまった~
そして
また
ダブリンに戻ってきた。